鏡の中の物理学 朝永振一郎 講談社学術文庫4 目次  鏡のなかの物理学  素粒子は粒子であるか  光子の裁判  ―ある日の夢― 解説…伊藤大介 はじめに  鏡というのは、私、子どものときからそれをみるのが好きで、それはべつに自分の顔に惚 れこんで(笑)―ギリシャ神話に出てくるナルシスみたいに―というわけではございま せん。ただその、鏡をみますと、それをかざしてですね、自分の家の部屋から部屋へとぶら ぶら歩いたり、あるいは庭に出たりすると、ひじょうにおもしろい。鏡をこうやって家のな かを歩きますと、いままで壁だと思っていたところに窓があったり、部屋のないところに部 屋ができたり、あるいは庭なんか、もうふだん見あきているのですけれど、鏡にうつしてみ ますと、すっかり変った景色になる。そういうことがひじょうにおもしろかったのです。こ ういう子どものときの鏡あそびですね、これが鏡というものに興味をもつ機縁として、いま でものこっているわけです。 8 じつは、物理学者には、やはり鏡に興味をもつ人がひじょうに多いようで、この鏡の― 物理学者ですから、もうちょっと気のきいたことを問題にするわけですが―、鏡の向うの 世界と現実の世界との間の関係が物理学者の興味の対象になるのです。われわれのまわりの 自然界を見ますと、必ずしも鏡にうつしたとき、こちらがわと、向うがわとが同じになって いるとはかぎらない。―たとえば、もろもろの生きもの、たとえばわれわれの顔なんてい うのは、鏡にうつしても同じように見える。しかし、やかましく言いますと、われわれのか らだの中で心臓は左がわにあって肝臓が右がわにある。で、鏡にうつすとそれが逆になるわ けです。ところが、そういうふうな逆になった人間は現実の世界には存在しないわけです。 そういうわけで、この世の中には、鏡にうつったものが存在しないという、そういうような 例が、いくらもあるわけです。  だいたい、さっき申しました、自分の庭の景色なんかも、鏡にうつすとすっかり変ってみ える。そういうわけで、こちらがわにあるものと鏡にうつったものとが、ちがっているもの が、たしかに存在する。しかし、まあ庭のばあいなんかは人間が作るものですから、現実の 庭とちがったものが向うにあってもすっかり逆の庭を作ればいいので、こちらがわの庭と向 うがわの庭はちがっているけれども、向うがわそっくりなものを作ろうと思えば作れるわけ ですね。また、みなさん床屋へ行って、鏡にうつった時計を見て、午後の三時ならば、朝の 九時みたいなところに針がいっている。それを見てふしぎな気がしたことがあるかと思いま す。しかし、これも庭の場合と同じで、時計をすっかり逆に作ることはしようと思えばでき るわけです。…このあいだ、なんで見たのか忘れましたが、新聞だか雑誌だかに、特許庁 に申請された発明登録のなかにですね、床屋用の時計という、そういう新発明があったとい う記事を見たのですけれども(笑)、作ろうと思えば作れるんです。 9