羅生門らしょうもん

芥川あくたがわ  龍之介りゅうのすけ

  ある  日ひの  暮方くれがたの  ことで  ある。一人ひとりの  下人げにんが、羅生門らしょうもんの  下したで  雨あまやみを  待まって  いた。

  広ひろい  門もんの  下したには、この  男おとこの  ほかに  誰だれも  いない。ただ、所々ところどころ  丹に塗ぬりの  剥はげた、大おおきな  円柱まるばしらに、蟋蟀きりぎりすが  一匹いっぴき  止とまって  いる。羅生門らしょうもんが、朱雀すざく  大路おおじに  ある  以上いじょうは、この  男おとこの  ほかにも、雨あまやみを  する  市女笠いちめがさや  揉烏帽子もみえぼしが、もう  二三人にさんにんは  ありそうな  もので  ある。それが、この  男おとこの  ほかには  誰だれも  いない。

  何故なぜかと  いうと、この  二三年にさんねん、京都きょうとには、  地震じしんとか  辻風つじかぜとか  火事かじとか  飢饉ききんとか  いう  災わざわいが  つづいて  起おこった。そこで  洛中らくちゅうの  さびれ方かたは  一通ひととおりでは  ない。旧記きゅうきに  よると、仏像ぶつぞうや  仏具ぶつぐを  打砕うちくだいて、その  丹にが  ついたり、金銀きんぎんの  箔はくが  ついたり  した  木きを、路みちばたに  つみ重かさねて、薪たきぎの  料しろに  売うって  いたと  云いう  事ことで  ある。洛中らくちゅうが  その  始末しまつで  あるから、羅生門らしょうもんの  修理しゅうりなどは、元もとより  誰だれも  捨すてて  顧かえりみる  者ものが  なかった。すると  その  荒あれ果はてたのを  よい  事ことに  して、狐狸こりが  棲すむ。盗人ぬすびとが  棲すむ。とうとう  しまいには、引ひき取とり手ての  ない  死人しにんを、この  門もんへ  持もって  きて、棄すてて  いくと  いう  習慣しゅうかんさえ  出来できた。そこで、日ひの目めが  見みえなく  なると、誰だれでも  気味きみを  悪わるがって、この  門もんの  近所きんじょへは  足あしぶみを  しない  事ことに  なって  しまったので  ある。

  その  代かわり  また  鴉からすが  どこからか、たくさん  集あつまって  来きた。昼間ひるま  見みると、その  鴉からすが、何羽なんわと  なく  輪わを  描かいて、高たかい  鴟し尾びの  まわりを  啼なきながら、飛とびまわって  いる。ことに  門もんの  上うえの  空そらが、夕焼ゆうやけで  あかく  なる  時ときには、それが  胡麻ごまを  まいたように  はっきり  見みえた。鴉からすは、勿論もちろん、門もんの  上うえに  ある  死人しにんの  肉にくを  、啄ついばみに  来くるので  ある。―もっとも  今日きょうは、刻限こくげんが  遅おそい  せいか、一羽いちわも  見みえない。ただ、所々ところどころ、崩くずれかかった、そうして  その  崩くずれ目めに  長ながい  草くさの  生はえた  石段いしだんの  上うえに、鴉からすの  糞ふんが、点々てんてんと  白しろく  こびりついて  いるのが  見みえる。下人げにんは  七段ななだん  ある  石段いしだんの  一番いちばん  上うえの  段だんに、洗あらいざらした  紺こんの  襖あおの  尻しりを  据すえて、右みぎの  頰ほおに  できた、大おおきな  面皰にきびを  気きに  しながら、ぼんやり、雨あめの  ふるのを  眺ながめて  いた。

  作者さくしゃは  さっき、「下人げにんが  雨あまやみを  待まって  いた」と  書かいた。しかし、下人げにんは  雨あめが  やんでも、格別かくべつ  どう  しようと  云いう  当あては  ない。ふだんなら、勿論もちろん、主人しゅじんの  家いえへ  帰かえる可べき  筈はずで  ある。所ところが  その  主人しゅじんからは、四五日しごにち  前まえに暇ひまを  出だされた。前まえにも  書かいたように、当時とうじ  京都きょうとの  町まちは  一通ひととおりならず  衰微すいび  して  いた。今いま  この  下人げにんが、永年ながねん、使つかわれて  いた  主人しゅじんから、暇ひまを  出だされたのも、実じつは  この  衰微すいびの  小ちいさな  余波よはに  ほかならない。だから  「下人げにんが  雨あまやみを  待まって  いた」と  云いうよりも  「雨あめに  ふりこめられた  下人げにんが、行いき所どころが  なくて、途方とほうに  くれて  いた」と  云いう  方ほうが、適当てきとうで  ある。その上うえ、今日きょうの  空模様そらもようも  少すくなからず、この  平安朝へいあんちょうの  下人げにんの Sentimentalisme に  影響えいきょう  した。申さるの  刻こく  下さがりから  ふり出だした  雨あめは、いまだに  上あがる  けしきが  ない。そこで、下人げにんは、何なにを  おいても  差当さしあたり  明日あすの  暮くらしを  どうにか  しようと  して  ―云いわば  どうにも  ならない  事ことを、どうにか  しようと  して、とりとめも  ない  考かんがえを  たどりながら、さっきから  朱雀すざく  大路おおじに  ふる  雨あめの  音おとを、聞きくとも  なく  聞きいて  いたので  ある。

  雨あめは、羅生門らしょうもんを  つつんで、遠とおくから、ざあっと  いう  音おとを  あつめて  来くる。夕闇ゆうやみは  次第しだいに  空そらを  低ひくく  して、見上みあげると、門もんの  屋根やねが、斜ななめに  つき出だした  甍いらかの  先さきに、重おもたく  うす暗ぐらい  雲くもを  支ささえて  いる。

  どうにも  ならない  事ことを、どうにか  する  ためには、手段しゅだんを  選えらんで  いる  遑いとまは  ない。選えらんで  いれば、築土ついじの  下したか、道端みちばたの  土つちの  上うえで、餓死うえじにを  するばかりで  ある。そうして、この  門もんの  上うえへ  持もって  来きて、犬いぬのように  棄すてられて  しまうばかりで  ある。選えらばないと  すれば  ―下人げにんの  考かんがえは、何度なんども  同おなじ  道みちを  低徊ていかい  した  揚句あげくに、やっと  この  局所きょくしょへ  逢着ほうちゃく  した。しかし  この  「すれば」は、いつまで  たっても、結局けっきょく  「すれば」で  あった。下人げにんは、手段しゅだんを  選えらばないと  いう  事ことを  肯定こうてい  しながらも、この  「すれば」の  かたを  つける  ために、当然とうぜん、その  後のちに  来きたる可べき  「盗人ぬすびとに  なるより  ほかに  仕方しかたが  ない」と  云いう  事ことを、積極的せっきょくてきに  肯定こうてい  するだけの、勇気ゆうきが  出でずに  いたので  ある。

  下人げにんは、大おおきな  嚔くさめを  して、それから、大儀たいぎそうに  立たち上あがった。夕冷ゆうびえの  する  京都きょうとは、もう  火桶ひおけが  欲ほしいほどの  寒さむさで  ある。風かぜは  門もんの  柱はしらと  柱はしらとの  間あいだを、夕闇ゆうやみと  共ともに  遠慮えんりょ  なく、吹ふき抜ぬける。丹塗にぬりの  柱はしらに  とまって  いた  蟋蟀きりぎりすも、もう  どこかへ  行いって  しまった。

  下人げにんは、頸くびを  ちぢめながら、山吹やまぶきの  汗袗かざみに  重かさねた、紺こんの  襖あおの  肩かたを  高たかく  して、門もんの  まわりを  見みまわした。雨風あめかぜの  患うれえの  ない、人目ひとめに  かかる  惧おそれの  ない、一晩ひとばん  楽らくに  ねられそうな  所ところが  あれば、そこで  ともかくも、夜よを  明あかそうと  思おもったからで  ある。すると、幸さいわい  門もんの  上うえの  楼ろうへ  上あがる、幅はばの  広ひろい、これも  丹にを  塗ぬった  梯子はしごが  眼めに  ついた。上うえなら、人ひとが  いたに  しても、どうせ  死人しにんばかりで  ある。下人げにんは  そこで、腰こしに  さげた  聖柄ひじりづかの  太刀たちが  鞘走さやばしらないように  気きを  つけながら、藁草履わらぞうりを  はいた  足あしを、その  梯子はしごの  一番いちばん  下したの  段だんへ  ふみかけた。

  それから、何分なんぷんかの  後のちで  ある。羅生門らしょうもんの  楼ろうの  上うえへ  出でる、幅はばの  広ひろい  梯子はしごの  中段ちゅうだんに、一人ひとりの  男おとこが、猫ねこのように  身みを  ちぢめて、息いきを  殺ころしながら、上うえの  容子ようすを  窺うかがって  いた。楼ろうの  上うえから  さす  火ひの  光ひかりが、かすかに、その  男おとこの  右みぎの  頬ほおを  ぬらして  いる。短みじかい  髭ひげの  中なかに、赤あかく  膿うみを  持もった  面皰にきびの  ある  頬ほおで  ある。下人げにんは、始はじめから、この  上うえに  いる  者ものは、死人しにんばかりだと  高たかを  括くくって  いた。それが、梯子はしごを  二三段にさんだん  上のぼって  見みると、上うえでは  誰だれか  火ひを  とぼして、しかも  その  火ひを  そこここと  動うごかして  いるらしい。これは、その  濁にごった、黄きいろい  光ひかりが、隅々すみずみに  蜘蛛くもの  巣すを  かけた  天井裏てんじょううらに、揺ゆれながら  映うつったので、すぐに  それと  知しれたので  ある。この  雨あめの  夜よに、この  羅生門らしょうもんの  上うえで、火ひを  ともして  いるからは、どうせ  ただの  者ものでは  ない。

  下人げにんは、守宮やもりのように  足音あしおとを  ぬすんで、やっと  急きゅうな  梯子はしごを、いちばん  上うえの  段だんまで  這はうように  して  上のぼりつめた。そうして  体からだを  出来できるだけ、平たいらに  しながら、頸くびを  出来できるだけ、前まえへ  出だして、恐おそる  恐おそる、楼ろうの  内うちを  覗のぞいて  みた。

  見みると、楼ろうの  内うちには、噂うわさに  聞きいた  通とおり、幾いくつかの  死骸しがいが、無造作むぞうさに  棄すてて  あるが、火ひの  光ひかりの  及およぶ  範囲はんいが、思おもったより  狭せまいので、数かずは  幾いくつとも  わからない。ただ、おぼろげながら、知しれるのは、その  中なかに  裸はだかの  死骸しがいと、着物きものを  着きた  死骸しがいとが  あると  云いう  事ことで  ある。勿論もちろん、中なかには  女おんなも  男おとこも  まじって  いるらしい。そうして、その  死骸しがいは  皆みな、それが、かつて、生いきて  いた  人間にんげんだと  いう  事実じじつさえ  疑うたがわれるほど、土つちを  捏こねて  造つくった  人形にんぎょうのように、口くちを  開あいたり  手てを  延のばしたり  して、ごろごろ  床ゆかの  上うえに  ころがって  いた。しかも、肩かたとか  胸むねとかの  高たかく  なって  いる  部分ぶぶんに、ぼんやり  した  火ひの  光ひかりを  受うけて、低ひくく  なって  いる  部分ぶぶんの  影かげを  一層いっそう  暗くらく  しながら、永久えいきゅうに  唖おしの如ごとく  黙だまって  いた。

  下人げにんは、それらの  死骸しがいの  腐爛ふらん  した  臭気しゅうきに  思おもわず、鼻はなを  掩おおった。しかし、その  手ては、次つぎの  瞬間しゅんかんには、もう  鼻はなを  掩おおう  事ことを忘わすれて  いた。ある  強つよい  感情かんじょうが、ほとんど  ことごとく  この  男おとこの  嗅覚きゅうかくを  奪うばって  しまったからで  ある。

  下人げにんの  眼めは、その  時とき、はじめて  その  死骸しがいの  中なかに  蹲うずくまって  いる  人間にんげんを  見みた。檜皮色ひわだいろの  着物きものを  着きた、背せの  低ひくい、痩やせた、白髪頭しらがあたまの、猿さるのような  老婆ろうばで  ある。その  老婆ろうばは、右みぎの  手てに  火ひを  ともした  松まつの  木片きぎれを  持もって、その  死骸しがいの  一ひとつの  顔かおを  覗のぞきこむように  眺ながめて  いた。髪かみの毛けの  長ながい  所ところを  見みると、多分たぶん  女おんなの  死骸しがいで  あろう。

  下人げにんは、六分ろくぶの  恐怖きょうふと  四分しぶの  好奇心こうきしんとに  動うごかされて、暫時ざんじは  呼吸いきを  するのさえ  忘わすれて  いた。旧記きゅうきの  記者きしゃの  語ごを  借かりれば、「頭身とうしんの  毛けも  太ふとる」ように  感かんじたので  ある。すると  老婆ろうばは、松まつの  木片きぎれを、床板ゆかいたの  間あいだに  挿さして、それから、今いままで  眺ながめて  いた  死骸しがいの  首くびに  両手りょうてを  かけると、丁度ちょうど、猿さるの  親おやが  猿さるの  子この  虱しらみを  取とるように、その  長ながい  髪かみの毛けを  一本いっぽんずつ  抜ぬきはじめた。髪かみは  手てに従したがって  抜ぬけるらしい。

  その  髪かみの毛けが、一本いっぽんずつ  抜ぬけるのに  従したがって、下人げにんの  心こころからは、恐怖きょうふが  少すこしずつ  消きえて  行いった。そうして、それと  同時どうじに、この  老婆ろうばに  対たいする  はげしい  憎悪ぞうおが、少すこしずつ  動うごいて  きた。―いや、この  老婆ろうばに  対たいすると  云いっては、語弊ごへいが  あるかも  知しれない。むしろ、あらゆる  悪あくに  対たいする  反感はんかんが、一分毎いっぷんごとに  強つよさを  増まして  きたので  ある。この  時とき、誰だれかが  この  下人げにんに、さっき  門もんの  下したで  この  男おとこが  考かんがえて  いた、饑死うえじにを  するか  盗人ぬすびとに  なるかと  云いう  問題もんだいを、改あらためて  持出もちだしたら、恐おそらく  下人げにんは、何なんの  未練みれんも  なく、饑死うえじにを  選えらんだ  事ことで  あろう。それほど、この  男おとこの  悪あくを  憎にくむ  心こころは、老婆ろうばの  床ゆかに  挿さした  松まつの  木片きぎれのように、勢いきおい  よく  燃もえ上あがり出だして  いたので  ある。

  下人げにんには、勿論もちろん、何故なぜ  老婆ろうばが  死人しにんの  髪かみの毛けを  抜ぬくか  わからなかった。従したがって、合理的ごうりてきには、それを  善悪ぜんあくの  いずれに  片かたづけて  よいか  知しらなかった。しかし  下人げにんに  とっては、この  雨あめの  夜よに、この  羅生門らしょうもんの  上うえで、死人しにんの  髪かみの毛けを  抜ぬくと  云いう  事ことが、それだけで  既すでに  許ゆるすべからざる  悪あくで  あった。勿論もちろん、下人げにんは、さっきまで  自分じぶんが、盗人ぬすびとに  なる  気きで  いた  事ことなぞは、とうに  忘わすれて  いたので  ある。

  そこで、下人げにんは、両足りょうあしに  力ちからを  入いれて、いきなり、梯子はしごから  上うえへ  飛とび上あがった。そうして  聖柄ひじりづかの  太刀たちに  手てを  かけながら、大股おおまたに  老婆ろうばの  前まえへ  歩あゆみよった。老婆ろうばが  驚おどろいたのは  云いうまでも  ない。

  老婆ろうばは、一目ひとめ  下人げにんを  見みると、まるで  弩いしゆみにでも  弾はじかれたように、飛とび上あがった。

  「おのれ、どこへ  行いく。」

  下人げにんは、老婆ろうばが  死骸しがいに  つまずきながら、慌あわてふためいて  逃にげようと  する  行ゆく手てを  塞ふさいで、こう  罵ののしった。老婆ろうばは、それでも  下人げにんを  つきのけて  行いこうと  する。下人げにんは  また、それを  行いかすまいと  して、押おしもどす。二人ふたりは  死骸しがいの  中なかで、しばらく、無言むごんの  まま、つかみ合あった。しかし  勝敗しょうはいは、はじめから  わかって  いる。下人げにんは  とうとう、老婆ろうばの  腕うでを  つかんで、無理むりに  そこへ  扭ねじ倒たおした。ちょうど、鶏にわとりの  脚あしのような、骨ほねと  皮かわばかりの  腕うでで  ある。

  「何なにを  して  いた。云いえ。云いわぬと、これだぞよ。」

  下人げにんは、老婆ろうばを  つき放はなすと、いきなり、太刀たちの  鞘さやを  払はらって、白しろい  鋼はがねの  色いろを  その  眼めの前まえへ  つきつけた。けれども、老婆ろうばは  黙だまって  いる。両手りょうてを  わなわな  ふるわせて、肩かたで  息いきを  切きりながら、眼めを、眼球めだまが  眶まぶたの  外そとへ  出でそうに  なるほど、見開みひらいて、唖おしのように  執しゅう拗ねく  黙だまって  いる。これを  見みると、下人げにんは  始はじめて  明白めいはくに  この  老婆ろうばの  生死せいしが、全然ぜんぜん、自分じぶんの  意志いしに  支配しはい  されて  いると  云いう  事ことを  意識いしき  した。そうして  この  意識いしきは、今いままで  けわしく  燃もえて  いた  憎悪ぞうおの  心こころを、いつの間まにか  冷さまして  しまった。後あとに  残のこったのは、ただ、ある  仕事しごとを  して、それが  円満えんまんに  成就じょうじゅ  した  時ときの、安やすらかな  得意とくいと  満足まんぞくとが  あるばかりで  ある。そこで、下人げにんは、老婆ろうばを  見下みおろしながら、少すこし  声こえを  柔やわらげて  こう  云いった。

  「己おれは  検非違使けびいしの  庁ちょうの  役人やくにんなどでは  ない。今いまし方がた  この  門もんの  下したを  通とおりかかった  旅たびの  者ものだ。だから  お前まえに  縄なわを  かけて、どう  しようと  云いうような  事ことは  ない。ただ、今いま時分じぶん、この  門もんの  上うえで、何なにを  して  居いたのだか、それを  己おれに  話はなしさえ  すれば  いいのだ。」

  すると、老婆ろうばは、見開みひらいて  いた  眼めを、一層いっそう  大おおきく  して、じっと  その  下人げにんの  顔かおを  見守みまもった。眶まぶたの  赤あかく  なった、肉食鳥にくしょくちょうのような、鋭するどい  眼めで  見みたので  ある。それから、皺しわで、ほとんど、鼻はなと  一ひとつに  なった  唇くちびるを、何なにか  物ものでも  噛かんで  いるように  動うごかした。細ほそい  喉のどで、尖とがった  喉仏のどぼとけの  動うごいて  いるのが  見みえる。その  時とき、その  喉のどから、鴉からすの  啼なくような  声こえが、喘あえぎ  喘あえぎ、下人げにんの  耳みみへ  伝つたわって  来きた。

  「この  髪かみを  抜ぬいてな、この  髪かみを  抜ぬいてな、鬘かずらに  しようと  思おもうたのじゃ。」

  下人げにんは、老婆ろうばの  答こたえが  存外ぞんがい、平凡へいぼんなのに  失望しつぼう  した。そうして  失望しつぼう  すると  同時どうじに、また  前まえの  憎悪ぞうおが、冷ひややかな  侮蔑ぶべつと  一いっしょに、心こころの  中なかへ  はいって  来きた。すると、その  気色けしきが、先方せんぽうへも  通つうじたので  あろう。老婆ろうばは、片手かたてに、まだ  死骸しがいの  頭あたまから  奪うばった  長ながい  抜ぬけ毛げを  持もったなり、蟇ひきの  つぶやくような  声こえで、口くちごもりながら、こんな  事ことを  云いった。

  「成程なるほどな、死人しびとの  髪かみの毛けを  抜ぬくと  云いう  事ことは、何なんぼう  悪わるい  ことかも  知しれぬ。じゃが、ここに  いる  死人しびとどもは、皆みな、そのくらいな  事ことを、されても  いい  人間にんげんばかりだぞよ。現在げんざい、わしが  今いま、髪かみを  抜ぬいた  女おんななどはな、蛇へびを  四寸よんすんばかりずつに  切きって  干ほしたのを、干魚ほしうおだと  云いうて、太刀帯たてわきの  陣じんへ  売うりに  往いんだわ。疫病えやみに  かかって  死しななんだら、今いまでも  売うりに  往いんで  いた  事ことで  あろ。それもよ、この  女おんなの  売うる  干魚ほしうおは、味あじが  よいと  云いうて、太刀帯たてわきどもが、欠かかさず  菜さい料りょうに  買かって  いたそうな。わしは、この  女おんなの  した  事ことが  悪わるいとは  思おもうて  いぬ。せねば、饑死うえじにを  するのじゃて、仕方しかたが  なく  した  事ことで  あろ。されば、今いま  また、わしの  して  いた  事ことも  悪わるい  事こととは  思おもわぬぞよ。これとても  やはり  せねば、饑死うえじにを  するじゃて、仕方しかたが  なく  する  事ことじゃわいの。じゃて、その  仕方しかたが  ない  事ことを、よく  知しって  いた  この  女おんなは、大方おおかた  わしの  する  事ことも  大目おおめに  見みて  くれるで  あろ。」

  老婆ろうばは、大体だいたい  こんな  意味いみの  事ことを  云いった。

  下人げにんは、太刀たちを  鞘さやに  おさめて、その  太刀たちの  柄つかを  左ひだりの  手てで  おさえながら、冷然れいぜんと  して、この  話はなしを  聞きいて  いた。勿論もちろん、右みぎの  手てでは、赤あかく  頬ほおに  膿うみを  持もった  大おおきな  面皰にきびを  気きに  しながら、聞きいて  いるので  ある。しかし、これを  聞きいて  いる  中うちに、下人げにんの  心こころには、ある  勇気ゆうきが  生うまれて  来きた。それは、さっき  門もんの  下したで、この  男おとこには  欠かけて  いた  勇気ゆうきで  ある。そうして、また  さっき  この  門もんの  上うえへ  上あがって、この  老婆ろうばを  捕とらえた  時ときの  勇気ゆうきとは、全然ぜんぜん、反対はんたいな  方向ほうこうに  動うごこうと  する  勇気ゆうきで  ある。下人げにんは、饑死うえじにを  するか  盗人ぬすびとに  なるかに、迷まよわなかったばかりでは  ない。その  時ときの、この  男おとこの  心こころもちから  云いえば、饑死うえじになどと  云いう  事ことは、ほとんど、考かんがえる  事ことさえ  できないほど、意識いしきの  外そとに  追おい出だされて  いた。

  「きっと、そうか。」

  老婆ろうばの  話はなしが  完おわると、下人げにんは  嘲あざけるような  声こえで  念ねんを  押おした。そうして、一足ひとあし  前まえへ  出でると、不意ふいに  右みぎの  手てを  面皰にきびから  離はなして、老婆ろうばの  襟上えりがみを  つかみながら、噛かみつくように  こう  云いった。

  「では、己おれが  引剥ひはぎを  しようと  恨うらむまいな。己おれも  そう  しなければ、饑死うえじにを  する  体からだなのだ。」

  下人げにんは、すばやく、老婆ろうばの  着物きものを  剥はぎとった。それから、足あしに  しがみつこうと  する  老婆ろうばを、手荒てあらく  死骸しがいの  上うえへ  蹴倒けたおした。梯子はしごの  口くちまでは、僅わずかに  五歩ごほを  数かぞえるばかりで  ある。下人げにんは、剥はぎとった  檜皮色ひわだいろの  着物きものを  わきに  かかえて、またたく  間まに  急きゅうな  梯子はしごを  夜よるの  底そこへ  かけ下おりた。

  しばらく、死しんだように  倒たおれて  いた  老婆ろうばが、死骸しがいの  中なかから、その  裸はだかの  体からだを  起おこしたのは、それから  間まもなくの  事ことで  ある。老婆ろうばは、つぶやくような、うめくような  声こえを  立たてながら、まだ  燃もえて  いる  火ひの  光ひかりを  たよりに、梯子はしごの  口くちまで、這はって  行いった。そうして、そこから、短みじかい  白髪しらがを  倒さかさまに  して、門もんの  下したを  覗のぞきこんだ。外そとには、ただ、黒こく  洞々とうとうたる  夜よるが  あるばかりで  ある。

  下人げにんの  行方ゆくえは、誰だれも  知しらない。

「羅生門らしょうもん」  初版本しょはんぼん  表紙ひょうし  (大正たいしょう  6年ねん)

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あとがき

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著者ちょしゃ  芥川あくたがわ  龍之介りゅうのすけ

発行はっこう  大正たいしょう  六年ろくねん  六月ろくがつ  二十三日にじゅうさんにち

発行所はっこうじょ  阿蘭陀おらんだ  書しょ房ぼう

表紙ひょうし  等とうの  写真しゃしんは  国会こっかい  図書館としょかん  デジタル  コレクションの  「羅生門らしょうもん」(阿蘭陀おらんだ  書房しょぼう版ばん)に  よる。

本文ほんぶんは  青空あおぞら  文庫ぶんこ  (http://www.aozora.gr.jp/)に  掲載けいさい  された  仮名使かなづかいに  従したがった。青空あおぞら  文庫ぶんこでは、「底本ていほん:  『芥川あくたがわ  龍之介りゅうのすけ  全集ぜんしゅう  1』  ちくま  文庫ぶんこ、筑摩ちくま  書房しょぼう」と  記載きさい  されて  いる。