羅生門(らしょうもん)

芥川(あくたがわ)龍之介(りゅうのすけ)

  ある日(ひ)の暮方(くれがた)のことである。一人(ひとり)の下人(げにん)が、羅生門(らしょうもん)の下(した)で雨(あま)やみを待(ま)っていた。

  広(ひろ)い門(もん)の下(した)には、この男(おとこ)のほかに誰(だれ)もいない。ただ、所々(ところどころ)丹(に)塗(ぬ)りの剥(は)げた、大(おお)きな円柱(まるばしら)に、蟋蟀(きりぎりす)が一匹(いっぴき)止(と)まっている。羅生門(らしょうもん)が、朱雀(すざく)大路(おおじ)にある以上(いじょう)は、この男(おとこ)のほかにも、雨(あま)やみをする市女笠(いちめがさ)や揉烏帽子(もみえぼし)が、もう二三人(にさんにん)はありそうなものである。それが、この男(おとこ)のほかには誰(だれ)もいない。

  何故(なぜ)かというと、この二三年(にさんねん)、京都(きょうと)には、地震(じしん)とか辻風(つじかぜ)とか火事(かじ)とか飢饉(ききん)とかいう災(わざわい)がつづいて起(お)こった。そこで洛中(らくちゅう)のさびれ方(かた)は一通(ひととお)りではない。旧記(きゅうき)によると、仏像(ぶつぞう)や仏具(ぶつぐ)を打砕(うちくだ)いて、その丹(に)がついたり、金銀(きんぎん)の箔(はく)がついたりした木(き)を、路(みち)ばたにつみ重(かさ)ねて、薪(たきぎ)の料(しろ)に売(う)っていたと云(い)う事(こと)である。洛中(らくちゅう)がその始末(しまつ)であるから、羅生門(らしょうもん)の修理(しゅうり)などは、元(もと)より誰(だれ)も捨(す)てて顧(かえりみ)る者(もの)がなかった。するとその荒(あ)れ果(は)てたのをよい事(こと)にして、狐狸(こり)が棲(す)む。盗人(ぬすびと)が棲(す)む。とうとうしまいには、引(ひ)き取(と)り手(て)のない死人(しにん)を、この門(もん)へ持(も)ってきて、棄(す)てていくという習慣(しゅうかん)さえ出来(でき)た。そこで、日(ひ)の目(め)が見(み)えなくなると、誰(だれ)でも気味(きみ)を悪(わ)るがって、この門(もん)の近所(きんじょ)へは足(あし)ぶみをしない事(こと)になってしまったのである。

  その代(か)わりまた鴉(からす)がどこからか、たくさん集(あつ)まって来(き)た。昼間(ひるま)見(み)ると、その鴉(からす)が、何羽(なんわ)となく輪(わ)を描(か)いて、高(たか)い鴟(し)尾(び)のまわりを啼(な)きながら、飛(と)びまわっている。ことに門(もん)の上(うえ)の空(そら)が、夕焼(ゆうや)けであかくなる時(とき)には、それが胡麻(ごま)をまいたようにはっきり見(み)えた。鴉(からす)は、勿論(もちろん)、門(もん)の上(うえ)にある死人(しにん)の肉(にく)を、啄(ついば)みに来(く)るのである。―もっとも今日(きょう)は、刻限(こくげん)が遅(おそ)いせいか、一羽(いちわ)も見(み)えない。ただ、所々(ところどころ)、崩(くず)れかかった、そうしてその崩(くず)れ目(め)に長(なが)い草(くさ)の生(は)えた石段(いしだん)の上(うえ)に、鴉(からす)の糞(ふん)が、点々(てんてん)と白(しろ)くこびりついているのが見(み)える。下人(げにん)は七段(ななだん)ある石段(いしだん)の一番(いちばん)上(うえ)の段(だん)に、洗(あら)いざらした紺(こん)の襖(あお)の尻(しり)を据(す)えて、右(みぎ)の頰(ほお)にできた、大(おお)きな面皰(にきび)を気(き)にしながら、ぼんやり、雨(あめ)のふるのを眺(なが)めていた。

  作者(さくしゃ)はさっき、「下人(げにん)が雨(あま)やみを待(ま)っていた」と書(か)いた。しかし、下人(げにん)は雨(あめ)がやんでも、格別(かくべつ)どうしようと云(い)う当(あ)てはない。ふだんなら、勿論(もちろん)、主人(しゅじん)の家(いえ)へ帰(かえ)る可(べ)き筈(はず)である。所(ところ)がその主人(しゅじん)からは、四五日(しごにち)前(まえ)に暇(ひま)を出(だ)された。前(まえ)にも書(か)いたように、当時(とうじ)京都(きょうと)の町(まち)は一通(ひととお)りならず衰微(すいび)していた。今(いま)この下人(げにん)が、永年(ながねん)、使(つか)われていた主人(しゅじん)から、暇(ひま)を出(だ)されたのも、実(じつ)はこの衰微(すいび)の小(ちい)さな余波(よは)にほかならない。だから「下人(げにん)が雨(あま)やみを待(ま)っていた」と云(い)うよりも「雨(あめ)にふりこめられた下人(げにん)が、行(い)き所(どころ)がなくて、途方(とほう)にくれていた」と云(い)う方(ほう)が、適当(てきとう)である。その上(うえ)、今日(きょう)の空模様(そらもよう)も少(すく)なからず、この平安朝(へいあんちょう)の下人(げにん)の Sentimentalisme に影響(えいきょう)した。申(さる)の刻(こく)下(さが)りからふり出(だ)した雨(あめ)は、いまだに上(あ)がるけしきがない。そこで、下人(げにん)は、何(なに)をおいても差当(さしあ)たり明日(あす)の暮(くら)しをどうにかしようとして―云(い)わばどうにもならない事(こと)を、どうにかしようとして、とりとめもない考(かんが)えをたどりながら、さっきから朱雀(すざく)大路(おおじ)にふる雨(あめ)の音(おと)を、聞(き)くともなく聞(き)いていたのである。

  雨(あめ)は、羅生門(らしょうもん)をつつんで、遠(とお)くから、ざあっという音(おと)をあつめて来(く)る。夕闇(ゆうやみ)は次第(しだい)に空(そら)を低(ひく)くして、見上(みあ)げると、門(もん)の屋根(やね)が、斜(ななめ)につき出(だ)した甍(いらか)の先(さき)に、重(おも)たくうす暗(ぐら)い雲(くも)を支(ささ)えている。

  どうにもならない事(こと)を、どうにかするためには、手段(しゅだん)を選(えら)んでいる遑(いとま)はない。選(えら)んでいれば、築土(ついじ)の下(した)か、道端(みちばた)の土(つち)の上(うえ)で、餓死(うえじに)をするばかりである。そうして、この門(もん)の上(うえ)へ持(も)って来(き)て、犬(いぬ)のように棄(す)てられてしまうばかりである。選(えら)ばないとすれば―下人(げにん)の考(かんが)えは、何度(なんど)も同(おな)じ道(みち)を低徊(ていかい)した揚句(あげく)に、やっとこの局所(きょくしょ)へ逢着(ほうちゃく)した。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局(けっきょく)「すれば」であった。下人(げにん)は、手段(しゅだん)を選(えら)ばないという事(こと)を肯定(こうてい)しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然(とうぜん)、その後(のち)に来(きた)る可(べ)き「盗人(ぬすびと)になるよりほかに仕方(しかた)がない」と云(い)う事(こと)を、積極的(せっきょくてき)に肯定(こうてい)するだけの、勇気(ゆうき)が出(で)ずにいたのである。

  下人(げにん)は、大(おお)きな嚔(くさめ)をして、それから、大儀(たいぎ)そうに立(た)ち上(あ)がった。夕冷(ゆうび)えのする京都(きょうと)は、もう火桶(ひおけ)が欲(ほ)しいほどの寒(さむ)さである。風(かぜ)は門(もん)の柱(はしら)と柱(はしら)との間(あいだ)を、夕闇(ゆうやみ)と共(とも)に遠慮(えんりょ)なく、吹(ふ)き抜(ぬ)ける。丹塗(にぬり)の柱(はしら)にとまっていた蟋蟀(きりぎりす)も、もうどこかへ行(い)ってしまった。

  下人(げにん)は、頸(くび)をちぢめながら、山吹(やまぶき)の汗袗(かざみ)に重(かさ)ねた、紺(こん)の襖(あお)の肩(かた)を高(たか)くして、門(もん)のまわりを見(み)まわした。雨風(あめかぜ)の患(うれえ)のない、人目(ひとめ)にかかる惧(おそれ)のない、一晩(ひとばん)楽(らく)にねられそうな所(ところ)があれば、そこでともかくも、夜(よ)を明(あ)かそうと思(おも)ったからである。すると、幸(さいわ)い門(もん)の上(うえ)の楼(ろう)へ上(あが)る、幅(はば)の広(ひろ)い、これも丹(に)を塗(ぬ)った梯子(はしご)が眼(め)についた。上(うえ)なら、人(ひと)がいたにしても、どうせ死人(しにん)ばかりである。下人(げにん)はそこで、腰(こし)にさげた聖柄(ひじりづか)の太刀(たち)が鞘走(さやばし)らないように気(き)をつけながら、藁草履(わらぞうり)をはいた足(あし)を、その梯子(はしご)の一番(いちばん)下(した)の段(だん)へふみかけた。

  それから、何分(なんぷん)かの後(のち)である。羅生門(らしょうもん)の楼(ろう)の上(うえ)へ出(で)る、幅(はば)の広(ひろ)い梯子(はしご)の中段(ちゅうだん)に、一人(ひとり)の男(おとこ)が、猫(ねこ)のように身(み)をちぢめて、息(いき)を殺(ころ)しながら、上(うえ)の容子(ようす)を窺(うかが)っていた。楼(ろう)の上(うえ)からさす火(ひ)の光(ひかり)が、かすかに、その男(おとこ)の右(みぎ)の頬(ほお)をぬらしている。短(みじか)い髭(ひげ)の中(なか)に、赤(あか)く膿(うみ)を持(も)った面皰(にきび)のある頬(ほお)である。下人(げにん)は、始(はじ)めから、この上(うえ)にいる者(もの)は、死人(しにん)ばかりだと高(たか)を括(くく)っていた。それが、梯子(はしご)を二三段(にさんだん)上(のぼ)って見(み)ると、上(うえ)では誰(だれ)か火(ひ)をとぼして、しかもその火(ひ)をそこここと動(うご)かしているらしい。これは、その濁(にご)った、黄(き)いろい光(ひかり)が、隅々(すみずみ)に蜘蛛(くも)の巣(す)をかけた天井裏(てんじょううら)に、揺(ゆ)れながら映(うつ)ったので、すぐにそれと知(し)れたのである。この雨(あめ)の夜(よ)に、この羅生門(らしょうもん)の上(うえ)で、火(ひ)をともしているからは、どうせただの者(もの)ではない。

  下人(げにん)は、守宮(やもり)のように足音(あしおと)をぬすんで、やっと急(きゅう)な梯子(はしご)を、いちばん上(うえ)の段(だん)まで這(は)うようにして上(のぼ)りつめた。そうして体(からだ)を出来(でき)るだけ、平(たいら)にしながら、頸(くび)を出来(でき)るだけ、前(まえ)へ出(だ)して、恐(おそ)る恐(おそ)る、楼(ろう)の内(うち)を覗(のぞ)いてみた。

  見(み)ると、楼(ろう)の内(うち)には、噂(うわさ)に聞(き)いた通(とお)り、幾(いく)つかの死骸(しがい)が、無造作(むぞうさ)に棄(す)ててあるが、火(ひ)の光(ひかり)の及(およ)ぶ範囲(はんい)が、思(おも)ったより狭(せま)いので、数(かず)は幾(いく)つともわからない。ただ、おぼろげながら、知(し)れるのは、その中(なか)に裸(はだか)の死骸(しがい)と、着物(きもの)を着(き)た死骸(しがい)とがあると云(い)う事(こと)である。勿論(もちろん)、中(なか)には女(おんな)も男(おとこ)もまじっているらしい。そうして、その死骸(しがい)は皆(みな)、それが、かつて、生(い)きていた人間(にんげん)だという事実(じじつ)さえ疑(うたが)われるほど、土(つち)を捏(こ)ねて造(つく)った人形(にんぎょう)のように、口(くち)を開(あ)いたり手(て)を延(の)ばしたりして、ごろごろ床(ゆか)の上(うえ)にころがっていた。しかも、肩(かた)とか胸(むね)とかの高(たか)くなっている部分(ぶぶん)に、ぼんやりした火(ひ)の光(ひかり)を受(う)けて、低(ひく)くなっている部分(ぶぶん)の影(かげ)を一層(いっそう)暗(くら)くしながら、永久(えいきゅう)に唖(おし)の如(ごと)く黙(だま)っていた。

  下人(げにん)は、それらの死骸(しがい)の腐爛(ふらん)した臭気(しゅうき)に思(おも)わず、鼻(はな)を掩(おお)った。しかし、その手(て)は、次(つぎ)の瞬間(しゅんかん)には、もう鼻(はな)を掩(おお)う事(こと)を忘(わす)れていた。ある強(つよ)い感情(かんじょう)が、ほとんどことごとくこの男(おとこ)の嗅覚(きゅうかく)を奪(うば)ってしまったからである。

  下人(げにん)の眼(め)は、その時(とき)、はじめてその死骸(しがい)の中(なか)に蹲(うずくま)っている人間(にんげん)を見(み)た。檜皮色(ひわだいろ)の着物(きもの)を着(き)た、背(せ)の低(ひく)い、痩(や)せた、白髪頭(しらがあたま)の、猿(さる)のような老婆(ろうば)である。その老婆(ろうば)は、右(みぎ)の手(て)に火(ひ)をともした松(まつ)の木片(きぎれ)を持(も)って、その死骸(しがい)の一(ひと)つの顔(かお)を覗(のぞ)きこむように眺(なが)めていた。髪(かみ)の毛(け)の長(なが)い所(ところ)を見(み)ると、多分(たぶん)女(おんな)の死骸(しがい)であろう。

  下人(げにん)は、六分(ろくぶ)の恐怖(きょうふ)と四分(しぶ)の好奇心(こうきしん)とに動(うご)かされて、暫時(ざんじ)は呼吸(いき)をするのさえ忘(わす)れていた。旧記(きゅうき)の記者(きしゃ)の語(ご)を借(か)りれば、「頭身(とうしん)の毛(け)も太(ふと)る」ように感(かん)じたのである。すると老婆(ろうば)は、松(まつ)の木片(きぎれ)を、床板(ゆかいた)の間(あいだ)に挿(さ)して、それから、今(いま)まで眺(なが)めていた死骸(しがい)の首(くび)に両手(りょうて)をかけると、丁度(ちょうど)、猿(さる)の親(おや)が猿(さる)の子(こ)の虱(しらみ)を取(と)るように、その長(なが)い髪(かみ)の毛(け)を一本(いっぽん)ずつ抜(ぬ)きはじめた。髪(かみ)は手(て)に従(したが)って抜(ぬ)けるらしい。

  その髪(かみ)の毛(け)が、一本(いっぽん)ずつ抜(ぬ)けるのに従(したが)って、下人(げにん)の心(こころ)からは、恐怖(きょうふ)が少(すこ)しずつ消(き)えて行(い)った。そうして、それと同時(どうじ)に、この老婆(ろうば)に対(たい)するはげしい憎悪(ぞうお)が、少(すこ)しずつ動(うご)いてきた。―いや、この老婆(ろうば)に対(たい)すると云(い)っては、語弊(ごへい)があるかも知(し)れない。むしろ、あらゆる悪(あく)に対(たい)する反感(はんかん)が、一分毎(いっぷんごと)に強(つよ)さを増(ま)してきたのである。この時(とき)、誰(だれ)かがこの下人(げにん)に、さっき門(もん)の下(した)でこの男(おとこ)が考(かんが)えていた、饑死(うえじに)をするか盗人(ぬすびと)になるかと云(い)う問題(もんだい)を、改(あらた)めて持出(もちだ)したら、恐(おそ)らく下人(げにん)は、何(なん)の未練(みれん)もなく、饑死(うえじに)を選(えら)んだ事(こと)であろう。それほど、この男(おとこ)の悪(あく)を憎(にく)む心(こころ)は、老婆(ろうば)の床(ゆか)に挿(さ)した松(まつ)の木片(きぎれ)のように、勢(いきお)いよく燃(も)え上(あ)がり出(だ)していたのである。

  下人(げにん)には、勿論(もちろん)、何故(なぜ)老婆(ろうば)が死人(しにん)の髪(かみ)の毛(け)を抜(ぬ)くかわからなかった。従(したが)って、合理的(ごうりてき)には、それを善悪(ぜんあく)のいずれに片(かた)づけてよいか知(し)らなかった。しかし下人(げにん)にとっては、この雨(あめ)の夜(よ)に、この羅生門(らしょうもん)の上(うえ)で、死人(しにん)の髪(かみ)の毛(け)を抜(ぬ)くと云(い)う事(こと)が、それだけで既(すで)に許(ゆる)すべからざる悪(あく)であった。勿論(もちろん)、下人(げにん)は、さっきまで自分(じぶん)が、盗人(ぬすびと)になる気(き)でいた事(こと)なぞは、とうに忘(わす)れていたのである。

  そこで、下人(げにん)は、両足(りょうあし)に力(ちから)を入(い)れて、いきなり、梯子(はしご)から上(うえ)へ飛(と)び上(あ)がった。そうして聖柄(ひじりづか)の太刀(たち)に手(て)をかけながら、大股(おおまた)に老婆(ろうば)の前(まえ)へ歩(あゆ)みよった。老婆(ろうば)が驚(おどろ)いたのは云(い)うまでもない。

  老婆(ろうば)は、一目(ひとめ)下人(げにん)を見(み)ると、まるで弩(いしゆみ)にでも弾(はじ)かれたように、飛(と)び上(あ)がった。

  「おのれ、どこへ行(い)く。」

  下人(げにん)は、老婆(ろうば)が死骸(しがい)につまずきながら、慌(あわ)てふためいて逃(に)げようとする行(ゆ)く手(て)を塞(ふさ)いで、こう罵(ののし)った。老婆(ろうば)は、それでも下人(げにん)をつきのけて行(い)こうとする。下人(げにん)はまた、それを行(い)かすまいとして、押(お)しもどす。二人(ふたり)は死骸(しがい)の中(なか)で、しばらく、無言(むごん)のまま、つかみ合(あ)った。しかし勝敗(しょうはい)は、はじめからわかっている。下人(げにん)はとうとう、老婆(ろうば)の腕(うで)をつかんで、無理(むり)にそこへ扭(ね)じ倒(たお)した。ちょうど、鶏(にわとり)の脚(あし)のような、骨(ほね)と皮(かわ)ばかりの腕(うで)である。

  「何(なに)をしていた。云(い)え。云(い)わぬと、これだぞよ。」

  下人(げにん)は、老婆(ろうば)をつき放(はな)すと、いきなり、太刀(たち)の鞘(さや)を払(はら)って、白(しろ)い鋼(はがね)の色(いろ)をその眼(め)の前(まえ)へつきつけた。けれども、老婆(ろうば)は黙(だま)っている。両手(りょうて)をわなわなふるわせて、肩(かた)で息(いき)を切(き)りながら、眼(め)を、眼球(めだま)が眶(まぶた)の外(そと)へ出(で)そうになるほど、見開(みひら)いて、唖(おし)のように執(しゅう)拗(ね)く黙(だま)っている。これを見(み)ると、下人(げにん)は始(はじ)めて明白(めいはく)にこの老婆(ろうば)の生死(せいし)が、全然(ぜんぜん)、自分(じぶん)の意志(いし)に支配(しはい)されていると云(い)う事(こと)を意識(いしき)した。そうしてこの意識(いしき)は、今(いま)までけわしく燃(も)えていた憎悪(ぞうお)の心(こころ)を、いつの間(ま)にか冷(さ)ましてしまった。後(あと)に残(のこ)ったのは、ただ、ある仕事(しごと)をして、それが円満(えんまん)に成就(じょうじゅ)した時(とき)の、安(やす)らかな得意(とくい)と満足(まんぞく)とがあるばかりである。そこで、下人(げにん)は、老婆(ろうば)を見下(みおろ)しながら、少(すこ)し声(こえ)を柔(やわ)らげてこう云(い)った。

  「己(おれ)は検非違使(けびいし)の庁(ちょう)の役人(やくにん)などではない。今(いま)し方(がた)この門(もん)の下(した)を通(とお)りかかった旅(たび)の者(もの)だ。だからお前(まえ)に縄(なわ)をかけて、どうしようと云(い)うような事(こと)はない。ただ、今(いま)時分(じぶん)、この門(もん)の上(うえ)で、何(なに)をして居(い)たのだか、それを己(おれ)に話(はな)しさえすればいいのだ。」

  すると、老婆(ろうば)は、見開(みひら)いていた眼(め)を、一層(いっそう)大(おお)きくして、じっとその下人(げにん)の顔(かお)を見守(みまも)った。眶(まぶた)の赤(あか)くなった、肉食鳥(にくしょくちょう)のような、鋭(するど)い眼(め)で見(み)たのである。それから、皺(しわ)で、ほとんど、鼻(はな)と一(ひと)つになった唇(くちびる)を、何(なに)か物(もの)でも噛(か)んでいるように動(うご)かした。細(ほそ)い喉(のど)で、尖(とが)った喉仏(のどぼとけ)の動(うご)いているのが見(み)える。その時(とき)、その喉(のど)から、鴉(からす)の啼(な)くような声(こえ)が、喘(あえ)ぎ喘(あえ)ぎ、下人(げにん)の耳(みみ)へ伝(つた)わって来(き)た。

  「この髪(かみ)を抜(ぬ)いてな、この髪(かみ)を抜(ぬ)いてな、鬘(かずら)にしようと思(おも)うたのじゃ。」

  下人(げにん)は、老婆(ろうば)の答(こた)えが存外(ぞんがい)、平凡(へいぼん)なのに失望(しつぼう)した。そうして失望(しつぼう)すると同時(どうじ)に、また前(まえ)の憎悪(ぞうお)が、冷(ひ)ややかな侮蔑(ぶべつ)と一(いっ)しょに、心(こころ)の中(なか)へはいって来(き)た。すると、その気色(けしき)が、先方(せんぽう)へも通(つう)じたのであろう。老婆(ろうば)は、片手(かたて)に、まだ死骸(しがい)の頭(あたま)から奪(うば)った長(なが)い抜(ぬ)け毛(げ)を持(も)ったなり、蟇(ひき)のつぶやくような声(こえ)で、口(くち)ごもりながら、こんな事(こと)を云(い)った。

  「成程(なるほど)な、死人(しびと)の髪(かみ)の毛(け)を抜(ぬ)くと云(い)う事(こと)は、何(なん)ぼう悪(わる)いことかも知(し)れぬ。じゃが、ここにいる死人(しびと)どもは、皆(みな)、そのくらいな事(こと)を、されてもいい人間(にんげん)ばかりだぞよ。現在(げんざい)、わしが今(いま)、髪(かみ)を抜(ぬ)いた女(おんな)などはな、蛇(へび)を四寸(よんすん)ばかりずつに切(き)って干(ほ)したのを、干魚(ほしうお)だと云(い)うて、太刀帯(たてわき)の陣(じん)へ売(う)りに往(い)んだわ。疫病(えやみ)にかかって死(し)ななんだら、今(いま)でも売(う)りに往(い)んでいた事(こと)であろ。それもよ、この女(おんな)の売(う)る干魚(ほしうお)は、味(あじ)がよいと云(い)うて、太刀帯(たてわき)どもが、欠(か)かさず菜(さい)料(りょう)に買(か)っていたそうな。わしは、この女(おんな)のした事(こと)が悪(わる)いとは思(おも)うていぬ。せねば、饑死(うえじに)をするのじゃて、仕方(しかた)がなくした事(こと)であろ。されば、今(いま)また、わしのしていた事(こと)も悪(わる)い事(こと)とは思(おも)わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑死(うえじに)をするじゃて、仕方(しかた)がなくする事(こと)じゃわいの。じゃて、その仕方(しかた)がない事(こと)を、よく知(し)っていたこの女(おんな)は、大方(おおかた)わしのする事(こと)も大目(おおめ)に見(み)てくれるであろ。」

  老婆(ろうば)は、大体(だいたい)こんな意味(いみ)の事(こと)を云(い)った。

  下人(げにん)は、太刀(たち)を鞘(さや)におさめて、その太刀(たち)の柄(つか)を左(ひだり)の手(て)でおさえながら、冷然(れいぜん)として、この話(はなし)を聞(き)いていた。勿論(もちろん)、右(みぎ)の手(て)では、赤(あか)く頬(ほお)に膿(うみ)を持(も)った大(おお)きな面皰(にきび)を気(き)にしながら、聞(き)いているのである。しかし、これを聞(き)いている中(うち)に、下人(げにん)の心(こころ)には、ある勇気(ゆうき)が生(う)まれて来(き)た。それは、さっき門(もん)の下(した)で、この男(おとこ)には欠(か)けていた勇気(ゆうき)である。そうして、またさっきこの門(もん)の上(うえ)へ上(あが)って、この老婆(ろうば)を捕(と)らえた時(とき)の勇気(ゆうき)とは、全然(ぜんぜん)、反対(はんたい)な方向(ほうこう)に動(うご)こうとする勇気(ゆうき)である。下人(げにん)は、饑死(うえじに)をするか盗人(ぬすびと)になるかに、迷(まよ)わなかったばかりではない。その時(とき)の、この男(おとこ)の心(こころ)もちから云(い)えば、饑死(うえじに)などと云(い)う事(こと)は、ほとんど、考(かんが)える事(こと)さえできないほど、意識(いしき)の外(そと)に追(お)い出(だ)されていた。

  「きっと、そうか。」

  老婆(ろうば)の話(はなし)が完(おわ)ると、下人(げにん)は嘲(あざけ)るような声(こえ)で念(ねん)を押(お)した。そうして、一足(ひとあし)前(まえ)へ出(で)ると、不意(ふい)に右(みぎ)の手(て)を面皰(にきび)から離(はな)して、老婆(ろうば)の襟上(えりがみ)をつかみながら、噛(か)みつくようにこう云(い)った。

  「では、己(おれ)が引剥(ひはぎ)をしようと恨(うら)むまいな。己(おれ)もそうしなければ、饑死(うえじに)をする体(からだ)なのだ。」

  下人(げにん)は、すばやく、老婆(ろうば)の着物(きもの)を剥(は)ぎとった。それから、足(あし)にしがみつこうとする老婆(ろうば)を、手荒(てあら)く死骸(しがい)の上(うえ)へ蹴倒(けたお)した。梯子(はしご)の口(くち)までは、僅(わずか)に五歩(ごほ)を数(かぞ)えるばかりである。下人(げにん)は、剥(は)ぎとった檜皮色(ひわだいろ)の着物(きもの)をわきにかかえて、またたく間(ま)に急(きゅう)な梯子(はしご)を夜(よる)の底(そこ)へかけ下(お)りた。

  しばらく、死(し)んだように倒(たお)れていた老婆(ろうば)が、死骸(しがい)の中(なか)から、その裸(はだか)の体(からだ)を起(お)こしたのは、それから間(ま)もなくの事(こと)である。老婆(ろうば)は、つぶやくような、うめくような声(こえ)を立(た)てながら、まだ燃(も)えている火(ひ)の光(ひかり)をたよりに、梯子(はしご)の口(くち)まで、這(は)って行(い)った。そうして、そこから、短(みじか)い白髪(しらが)を倒(さかさま)にして、門(もん)の下(した)を覗(のぞ)きこんだ。外(そと)には、ただ、黒(こく)洞々(とうとう)たる夜(よる)があるばかりである。

  下人(げにん)の行方(ゆくえ)は、誰(だれ)も知(し)らない。

「羅生門(らしょうもん)」初版本(しょはんぼん)表紙(ひょうし)(大正(たいしょう)6年(ねん))

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あとがき

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著者(ちょしゃ)  芥川(あくたがわ)龍之介(りゅうのすけ)

発行(はっこう)  大正(たいしょう)六年(ろくねん)六月(ろくがつ)二十三日(にじゅうさんにち)

発行所(はっこうじょ)  阿蘭陀(おらんだ)書(しょ)房(ぼう)

表紙(ひょうし)等(とう)の写真(しゃしん)は国会(こっかい)図書館(としょかん)デジタルコレクションの「羅生門(らしょうもん)」(阿蘭陀(おらんだ)書房(しょぼう)版(ばん))による。

本文(ほんぶん)は青空(あおぞら)文庫(ぶんこ)(http://www.aozora.gr.jp/)に掲載(けいさい)された仮名使(かなづか)いに従(したが)った。青空(あおぞら)文庫(ぶんこ)では、「底本(ていほん):『芥川(あくたがわ)龍之介(りゅうのすけ)全集(ぜんしゅう)1』ちくま文庫(ぶんこ)、筑摩(ちくま)書房(しょぼう)」と記載(きさい)されている。